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ANDRÉA CALEK Babiole(アンドレア カレク バビオル)

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ANDRÉA CALEK Babiole(アンドレア カレク バビオル)  生産者      ANDRÉA CALEK  ワイン名     Babiole 2015 産地       ARDЀCHE (Alba La Romaine) 品種       Grenache /Syrah  正直、本当に気にいっているワインは紹介したくない… というのが本心で、、、今まで本当に気にいっているワインの紹介は何本かはしましたが極力控えてきました。と言いつつ最近はほぼお気に入りが続いています。 今日はその大のお気に入りの一本、そしてこの生産者のワインを誰よりも好きな自信があるほどにラブです。 ボトルの中でゆっくり眠っていたのではなく、グラスに解き放たれるのを今か今かと待ちわびていたように感じる。 香っても飲んでもワインエネルギーがいかにも高そうに感じる。 酸と一体化するように心地よいガスとローヌワインの相性はやはり最高の方向性の一つだと思っていて、  その最もお手本となる一本がBabioleではないだろうか。 このワインを飲むときは いつもより一口を多めに含んで、 ジュース感を贅沢に味い、 口の中で爆発する旨味を存分に楽しむ。 単なる飲み心地を求める軽いブドウ感ではなく、自然の土や畑を連想するような風味。 それは、とてもおおらかでのびのびとして香っても飲んでも躍動感があり本当にワインが活きているよう。  開放的で自由気ままだから スワリングする必要なんてない、 無理にまとめようとすると良さが失われてしまいそうである。 小さくまとめて型にはめてしまうようなもの。 何も考えなくてよい。 「自然体でいれば?」と言っているワイン。 説明不要 飲めばわかる。 何度飲んでも感動は変わらない。 もう、何本飲んだことか。 飲めばBabioleと遊んでいるかのような感覚になり、ワインを楽しむことが前提にある。 同じ種類のワインを何本飲んでも必ず同じ味が保たれているようなつまらないある種の科学的安定感は無個性で、料理も味の付いた調味料を使うより、使わないで上手に作ったほうが美味しさの感覚はまるで違うように、 このワインもそういう気がする。 この生産

ANDRÉA CALEK Blonde(アンドレア カレク ブロンド)

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ANDRÉA CALEK Blonde(アンドレア カレク ブロンド) 生産者   ANDRÉA CALEK  ワイン名  Blonde2017 産地    ARDЀCHE ビオワインや自然派ワインをうたった店は山ほど建ち続けているが、それらの店がそれらのワインを純粋に美味しいからか、素晴らしい造りだからか、環境的になのか、単純に流行りだからなのか。何故うたい提供しているのかがわからないが、〈ただ美味しいと思うから〉と理由でなければ、提供している料理も他の飲みものもワインと同じもの(造り)でなければならないはず。でなければ〈ワインだけ自然派〉の店とうたわなければおかしいと、こんなことは当たり前のことだろうが、ずっと思い続けているのだ…。 うたわずともこの先そういうワインが当たり前(今でも大分)になる日が来るだろうし、、、 因みに、うちの店ではうたいませんがリストの大半はそれらですし、料理もフランスなので自然です。 さて、関係ない話しでしたが何故このようなことを書いたかと言うと、 それらの人達からして南仏という産地でみたときに、最もアンドレアカレクを好きだというのが私だと言いいたいからです。 出来ることなら全てを買い占めたいほどに。または働きたい。 本当に好きなワインは紹介したくないし 還元がいちいち気になって気難しい人、 楽しむ気持ちのない頭の固い人には勿体なくて飲ませたくない。 一番大切なのは造りが健全なのは当たり前としたら〈ワイン・造り手〉のパーソナリティーであると思い続けているが、まさにこの造り手はそう言えると思う。 オイル香をまとい様々な黄色や白や緑、エキゾチックなフルーツの果実、他にも出そうと思えば出そうとしただけ様々なものを含んでいる。 自由さと遊び心、躍動感。もって生まれたポテンシャルの高さがうかがえる。 それは軽く表面的で単調なカジュアルなノリのワインではない。 長々とあれこれ語るのは、自由なワインには必要ないと思うので、 是非個人個人で味わい楽しみ・自分自身で感じとってもらいたい。 注いだ瞬間にスワリングは禁物。グラスの中で無理矢理に繋ぎまとめたりせずに先ずはありのままを香る。 赤同様に白も素晴らしすぎてしょうがないと私は思うのだが…。 現時点で