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LA ROCHE BUISSIЀRE ROSÉ(ラロッシュビュイシエール

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LA ROCHE BUISSIЀRE ROSÉ(ラロッシュビュイシエール) 生産者  LA ROCHE BUISSIЀRE ROSÉ ワイン名 LA ROCHE BUISSIЀRE ROSÉ 2018 産直   CÔTES DU RHÔNE  品種   Grenache/Cinsault/Mourvèdre  近年、日本でも春から夏にかけてはロゼワインが ワイン売場の入り口やオススメコーナーに並び売り出されているのを見かけるようになりました。 しかし夏が終ればお役ごめんとばかりに、然り気無く何処に並んでいるのかわからない状態で他のワインに紛れ棚に並び、まだまだ季節による販促感は否めません。 同業者でも試飲会などで見る限りはまだまだロゼに無関心な割合の方が多く、感心があってもやはり季節的な理由が多いのではないかと思います。 しかし時には僕らの最も愛する、とあ るロゼもあっという間に売り切れるようなこともあり、少しずつではありますが日本でも需要が高まってきているように感じますが、この先・・・どうでしょうか。 因みに主なワイン消費国では日本が最もロゼの需要が無く海外の関係者からはどうしてかと思われているようです。( 理 由は、恐らく....や....などでしょう) Ragoût では8,9年前には既にロゼを売りにし当時からロゼのリストも作っていたほどなので、どんぐりの背比べではありますがそうとうな有り余るセラーの持ち主かロゼ好きを除けば僅に先をいっていたと思います。 これまでも何度か書いてきましたが、(僕の中で)フランスのようにピクニックや広々とした公園など野外での解放感によるロゼワインの楽しみが理想的な環境だということは変わりません。 しかし、それらが不可能な場合 休日に自宅でまったりとした空間で飲むのもまた日常の中のリラックス作用として素晴らしい役割を果たしてくれます。そしてその場合、なんだかんだ散々書いておきながら僕も春夏に飲むという環境に、より飲む魅力を感じざるを得ません... 少し戸を開けるようになってきた心地よい時期、 明るく日が出ている昼間から飲み始める最初の一杯目。 よく冷しておいたロゼはキラキラとした酸で喉を潤し、よく冷えているおかげで引き締まったシャープなボディにドライ

ANDRÉA CALEK Babiole(アンドレア カレク バビオル)

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ANDRÉA CALEK Babiole(アンドレア カレク バビオル)  生産者      ANDRÉA CALEK  ワイン名     Babiole 2015 産地       ARDЀCHE (Alba La Romaine) 品種       Grenache /Syrah  正直、本当に気にいっているワインは紹介したくない… というのが本心で、、、今まで本当に気にいっているワインの紹介は何本かはしましたが極力控えてきました。と言いつつ最近はほぼお気に入りが続いています。 今日はその大のお気に入りの一本、そしてこの生産者のワインを誰よりも好きな自信があるほどにラブです。 ボトルの中でゆっくり眠っていたのではなく、グラスに解き放たれるのを今か今かと待ちわびていたように感じる。 香っても飲んでもワインエネルギーがいかにも高そうに感じる。 酸と一体化するように心地よいガスとローヌワインの相性はやはり最高の方向性の一つだと思っていて、  その最もお手本となる一本がBabioleではないだろうか。 このワインを飲むときは いつもより一口を多めに含んで、 ジュース感を贅沢に味い、 口の中で爆発する旨味を存分に楽しむ。 単なる飲み心地を求める軽いブドウ感ではなく、自然の土や畑を連想するような風味。 それは、とてもおおらかでのびのびとして香っても飲んでも躍動感があり本当にワインが活きているよう。  開放的で自由気ままだから スワリングする必要なんてない、 無理にまとめようとすると良さが失われてしまいそうである。 小さくまとめて型にはめてしまうようなもの。 何も考えなくてよい。 「自然体でいれば?」と言っているワイン。 説明不要 飲めばわかる。 何度飲んでも感動は変わらない。 もう、何本飲んだことか。 飲めばBabioleと遊んでいるかのような感覚になり、ワインを楽しむことが前提にある。 同じ種類のワインを何本飲んでも必ず同じ味が保たれているようなつまらないある種の科学的安定感は無個性で、料理も味の付いた調味料を使うより、使わないで上手に作ったほうが美味しさの感覚はまるで違うように、 このワインもそういう気がする。 この生産

ANDRÉA CALEK Blonde(アンドレア カレク ブロンド)

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ANDRÉA CALEK Blonde(アンドレア カレク ブロンド) 生産者   ANDRÉA CALEK  ワイン名  Blonde2017 産地    ARDЀCHE ビオワインや自然派ワインをうたった店は山ほど建ち続けているが、それらの店がそれらのワインを純粋に美味しいからか、素晴らしい造りだからか、環境的になのか、単純に流行りだからなのか。何故うたい提供しているのかがわからないが、〈ただ美味しいと思うから〉と理由でなければ、提供している料理も他の飲みものもワインと同じもの(造り)でなければならないはず。でなければ〈ワインだけ自然派〉の店とうたわなければおかしいと、こんなことは当たり前のことだろうが、ずっと思い続けているのだ…。 うたわずともこの先そういうワインが当たり前(今でも大分)になる日が来るだろうし、、、 因みに、うちの店ではうたいませんがリストの大半はそれらですし、料理もフランスなので自然です。 さて、関係ない話しでしたが何故このようなことを書いたかと言うと、 それらの人達からして南仏という産地でみたときに、最もアンドレアカレクを好きだというのが私だと言いいたいからです。 出来ることなら全てを買い占めたいほどに。または働きたい。 本当に好きなワインは紹介したくないし 還元がいちいち気になって気難しい人、 楽しむ気持ちのない頭の固い人には勿体なくて飲ませたくない。 一番大切なのは造りが健全なのは当たり前としたら〈ワイン・造り手〉のパーソナリティーであると思い続けているが、まさにこの造り手はそう言えると思う。 オイル香をまとい様々な黄色や白や緑、エキゾチックなフルーツの果実、他にも出そうと思えば出そうとしただけ様々なものを含んでいる。 自由さと遊び心、躍動感。もって生まれたポテンシャルの高さがうかがえる。 それは軽く表面的で単調なカジュアルなノリのワインではない。 長々とあれこれ語るのは、自由なワインには必要ないと思うので、 是非個人個人で味わい楽しみ・自分自身で感じとってもらいたい。 注いだ瞬間にスワリングは禁物。グラスの中で無理矢理に繋ぎまとめたりせずに先ずはありのままを香る。 赤同様に白も素晴らしすぎてしょうがないと私は思うのだが…。 現時点で

DOMAINE DU Gros'Noré BANDOL(ドメーヌ デュ グロ ノレ バンドール ロゼ)

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DOMAINE DU Gros'Noré BANDOL(ドメーヌ デュ グロ ノレ バンドール ロゼ)) 生産者    DOMAINE DU Gros'Noré  ワイン名   BANDOL Rosé 2017 産地     BANDOL  品種     Mourvèdre /Cinsault/Grenache  noir 南仏の中でも特に好きなロゼワインの産地・バンドールです。 ロゼとしては値段が気になるところですが(特に日本では)、それだけの素晴らしさはあると思っています。 飲まずして香りからも厚みを感じれて(スワリング禁物)、木・野イチゴのような果実を思わせる酸とそれらの甘みのある香り。 肉(果)厚な果物の果肉感に僅かな南仏特有の苦味は絶妙で、南仏らしく・プロヴァンスらしく・そしてムールヴェードルとバンドールらしい。 穏やかな海のような広がりをみせ、太陽の日を浴びた煌めく海のように心地よく酸がのっている。 南フランスそのもの。 穏やかで時がゆったりと流れることを感じることの出来る、豊でのんびりとしたワイン。 だからと言って、だれているわけでも高アルコールでもないし、キンキンに冷したりましてや水がわりに飲むようスタイルのワインではないと思う。 勿論クリアで喉を通りやすさはあるのだけれども、それよりも味わい深さに注意してみるべき。 塩とハーブで料理された肉や魚、ワインだけでもオールマイティー。  バンドールは赤もロゼも《程よい》と言う心地よさがなんとも旨いと思っているのですが、そこをプラスに感じれるようにならないと良くも悪くも何ともないワインとして通過してしまう人が多く、良さがいまいち伝わっていないのが現状だと思います。 極端なワインだけではなく、《程よさ》を楽しめると考え深い旨さが一つ広がるのではないのでしょうか?

C'est pas la mer à boire(セ パ ラ メール ア ボワ)

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C'est pas la mer à boire(セ パ ラ メール ア ボワ) 生産者    Domaine du Possible  ワイン名   C'est pas la mer à boire 2016 産地     Côtes du Russillon  品種     Grenache /Carignan /Syrah  南仏ワインをより好きにさせてくれた造り手。 まだ何も知らなくて(今も…)この辺りの産地でこのようなワインがあるなんて知らなかった頃に、早々と僕の中にあった固定概念を完全に覆してくれたワインの造り手の一人。 この Domaine du Possibleのワインを飲んで Russillonのワインが益々好きになり、興味が湧いてきた。 瑞々しく泉の如く味わいが次から次へと溢れでてくる。 淡いブドウの感じは桃のようにフルーティーで軽やか。と言ってもしっかりと味わいに芯はある。 ガスに頼ることのない爽快で心地よく、旨味を伴う完璧な酸度。 勿論、果実感やタンニンの縁の下で土台となるものの均等さが素晴らしいのは前提のことで、それらの功績と言った方がよいのかもしれませんが。 極限まで細やかなタンニン、嫌みのない程度の僅かな苦味・ 瑞々しくも厚みのある果肉感。それらは 様々な果物を連想することが出来き、単に単純ではない味わい・幅広さを持っている 。 香りはルシヨンの持つ独特の妖艶香。 舌の先端から真ん中辺りでサーモンを感じた。それは、エチケットの色に同調するように。もしくはサーモンの寿司を一昨日食べたばかりだから味覚に新しいのか…。 この辺りの産地のこのスタイルの後味に感じる〈えぐみ〉を感じるか感じないか程度ニュアンスもまた良く、 そこに 14%のアルコールを感じることはない。 中は真っ赤なレアの肉の様にフレッシュ?で臨場感ある香り。 クードレのミネルヴォワ・ラ・リヴィニエールに重なる部分があるように思うし、 非常に味わい深く探り深い。 飲み手が豊かならば、色々な楽しむ方向性を持っている。このワインを単なるグビグビ飲みやすいワインと捉えてしまったら軽卒だろう。

CLOS DE LA BARTHASSADE LES OUVRÉES(クロ ド ラ バルタサッド レズヴレ)

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CLOS DE LA BARTHASSADE LES OUVRÉES (クロ ド ラ バルタサッド レズヴレ) 生産者     CLOS DE LA BARTHASSADE  ワイン名    LES OUVRÉES 産地      TERRASSE DU LARZAC 品種      Syrah /Mourvèdre/Grenache  ブドウ本来の質の高さを感じ、果実のジューシーさは全体に充満。 それは味わいの中心からも根のように力強くぶれることなく広がり、身を任せれば自然とそのまま LES OUVRÉESの 余韻へと導いてくれる。 推進力と持続力。 アルコール感も素晴らしく、十分に果実味をふくらませブドウを飲んでいるという充実感を存分に与えてくれている。 リッチで深みある上品な LES OUVRÉES 飲む度に理解を増せば至福感が増してゆく。 どの様な方向性であるか、いかにその方向としてバランスが優れ各要素が高められ一体感が生まれているか。 バランスの極みというか、そもそもワイン自体の極みか、 ラルザックの極上。 このワインに対して色々と考えましたが 良いものは良いという、シンプルな言葉につきるかもしれません。 今の所。 そして、 数年前に飲んだ時よりもはるかに美味しく感じれるようになったのはワインが成長したのか僕らがしたのか。 良いものは、わからないよりわかるにこしたことはない。 このワインを飲んでクロマリを思い出しました。

狭める辛口

100%個人的であるが《辛口》という表現は好きではない。 何故かって? ワインのお店をやっているからだ。 この《辛口》というなんとも不的確な言葉は、 言葉豊かな日本語としては非常 にとらえどころがなく曖昧で楽チンな困ったチャンで、味覚や表現・考えることをお粗末にしていく恐ろしい言葉だと思っている。 まぁ、わかっている人の間ではこの言葉はそうそういう出るものではないので気は楽なのですが。 特にワインショップや飲食店の人達には接客上大問題であるはず。(多々そうでない同業者もいるか…) 《辛口》という赤か白か位の情報をもとに、会話や人間性からどういうものを求めているのか莫大な中からすり合わせていかなければならないのだから。 更に日本のワインには辛口表記やワイン名にまでも辛口のオンパレードなのだから。勿論、裏には商業的理由などがあるにせよ困った事態である。言い過ぎだとしたらゴメンなさい···。 そもそも辛口ワインなんてないわけで、 残糖率やガスが強いなどは決して日本語の《辛い》ではないのだ。 外人がドライというのとは違うし表現としてスパイシーと言うことはあるが違うのだ。 これはもう今更変わらないだろうがそういう《辛口》↔《甘口》という日本人の解釈で広まってしまったのは残念である。 甘くないのが嫌だから辛口下さいとしか言えないのは残念で、そもそもワインは甘いものであるし、もしも辛いワインがあったら不味くて飲めないのだ。 甘口にも辛口にも色々ある。 どんな風に甘いのか、もし辛く感じるとしたら何故どんな風に辛口に感じるのか説明出来ないと。それがわかっていないと曖昧な甘口辛口は各自が思っているのと他人とではかけ離れたものとなってしまっているはず。 伝えることに関して〈合っている間違っている〉は関係ないのである。それぞれの感性をお互いに共有し、すりあわせることが大切だから。日本語は細かいニュアンスも表現出来るし、何か言えないと言うことは何も感じれていないという事なのだから。そういう場の《甘い辛い話》は残念である。 と言いながらも、私も何も言えなかったし、そもそもそんな事・表現を考えたことすらなかった単なる男子だったし。 ワインとフランスがあってたまたま気づいてしまったのだ。